所謂従軍慰安婦の真相
昭和史研究所代表・獨協大学名誉教授 中村 粲
米下院は五月中に所謂従軍慰安婦問題を巡って、日本政府に謝罪を求める決議案の採決を行う予定だ。平成五年の河野洋平官房長官談話の半年前に、昭和史研究所代表の中村粲濁協大学名誉教授は大阪・大手前の國民曾館で「慰安婦問題の虚像と実像」と題して講演された。慰安婦問題に関して、広く聞き取り調査を行った中村氏の貴重な記録の一部を本紙に再録した。
慰安婦問題の一番の問題は、非常に特殊なケースが恰も一般的なケースであるかのやうに伝へられてゐる所にあると考へます。
朝日新聞には特殊なケースが誇大に載せられてをり、また慰安婦問題に関する本も沢山ありますが、そこに書かれてゐることは驚くべきことです。かういふことが日本人の脳裡に慰安婦の一般像として定着してゐるところに大きな問題があると思ひます。
つまり特殊なケースが一般像になつてゐる。特殊なケースがどういふものかといふ一例を云ひますと、日本軍は略奪とか強姦が日本軍の習慣で日常茶飯事であつたといふこと、それから朝鮮において徴兵とか慰安婦募集を致しましたけれども、この目的はどこにあつたかといふと、徴兵といふのは朝鮮の青年男子を抹殺することである。慰安婦は朝鮮女性を戦場に連れていつて抹殺することだ、つまり朝鮮民俗の抹殺をはかるものであった。これが目的であったとはつきり書かれてをるのです。これは慰安婦問題について沢山本を書いてゐる金一勉といふ朝鮮人の本です。果してこれは私共にとつて納得できるものなのかどうか。
次に慰安婦の徴集といふのは野犬狩りの如くであつて、「人狩り」と呼んで、狩り立てると云つてゐる。さういふ言葉が遠慮なく使はれてゐる。例へば寝込みを襲つて女性をさらつていく、あるいは結婚式場に警察官が乗り込んで来て結婚衣裳を着てゐる女性を慰安婦として連れていつたとか、およそ信じ難いことが堂々と活字になつてゐる。
その慰安所の実態といふのは二千名から三千名の日本軍に対して慰安婦が五、六名といふ所もあり、従つて慰安所の前には四、五十名もの行列ができて、そこには色地獄である。慰安婦は「性囚」である。その他、慰安所の様子は表現を憚ることですが、実にここまで書くのかと思ふやうなことが書かれてをる。
そして、だまされたと知つた朝鮮の女性は南方に運ばれる船の上から何百人の単位で太平洋に身を投げて死んでしまつたと書いてある。かういふことは本当にあつたのかどうか。何百人も身を投げて死んだので、日本軍は慌てて、次からは朝鮮人の女性の手足を縛つて逃げないやうにして島に送りこんだ、そして敗戦の時に現地に置き去りにした、もしくは一纏めにして殺してしまつた、かういふやうな結論になつてゐます。
これと大同小異のことがあちこちの本に引用されてゐるものですから、恰もこれが慰安掃の一般像の如く、多くの日本人の脳裡に定着していつた。
これは本ばかりではなく、NHKですらさうであります。北朝鮮からの慰安婦は満洲との国境で慰安婦になつて逃げ出さうとしたら、日本軍から裸にされて入墨をさせられた。胸に入墨がしてある。その入墨たるや、日本人の入墨と違ふんです。なにか花模様のやうな実に特殊な、異様な入墨なのです。これ、本当に入墨なのか。書いてるんぢやないかなと思つたんです。テレビですから良く判りません。
そして、誰がこれをやつたんだといふと、日本軍だ、星を三つ付けてゐた。その名前はイケダと云つてゐました。そこまで覚えてゐるものでせうか。さういふ人がゐたのかどうか、調べてみれば判るはずです。池田さんなんて日本に沢山ゐます。出まかせ言つてるといふ気もしますけれども、さういふことをNHKが何の疑ひもなく放映する。
更に驚くべきことは、これも北朝鮮でありますが、慰安婦になれと云はれて嫌がつたところが、日本軍は何をしたかといふと、中国人の囚人を連れてきて目の前で首を斬つた。その首をバケツに水を入れて煮立てた。そして煮立てた首を竿に吊して皆に見せた。嫌と云つたらこの通りだ。そしてその人間の首でダシをとつたスープを皆に飲ませた。
これに対しては流石に「産経」の黒田記者が疑問を呈した。日本人は人間の首でスープのダシをとる習慣は無いんだと云ひましたら、向ふから又、反論が出まして、これは誇張でも歪曲でもない、事実だと居直つて強弁してゐる。私はさうでない、といふ確証はありませんが、信ずることはできません。これは嘘だと思ふ、作りごとだ。朝鮮には鳥の頭でスープのダシをとる習慣があるさうだが、これはそれにヒントを得て作つた話ではないかと思ふ。
かういふやうな誇張歪曲されたことが平然と伝へられてゐて、これに対して日本側の反証、反論、疑問などが全くマスコミに載らないところに非常に大きな問題があるのではないか。
私はこれに対して疑問があるものですから、いろいろな方に伺ひたいと思ひまして満洲や朝鮮や支那などに居られた方に、一体、慰安婦の実態はどうだつたのかといふことを伺つてきました。
例えば東満のNさんです。年配の方ですが、昭和十五年から十七年、満洲の第一国境守備隊の副官をやつてゐた方で、自ら慰安所を開設した方です。一体、慰安所の状況や朝鮮人慰安婦はどうだつたんだといふことを伺つたところ、簡単に申しますと二十名位ゐた。それらは実に表情も明かるかつた。行列ができてゐたと言ふが、そんな行列なんて見たこともない。「丁度、今頃(春)の満洲は時候が良くて慰安婦は野に出て歌を歌つたり花摘みをしてましたよ」。「休養がとれたんですか」、「もちろん休むことはできたし、看護兵に申し出れば病気の時は休むことができた。兵隊は一週間に一日しか休みがない、慰安婦は暇で儲からないものだから、私はわざわざ兵隊にもう一日休みを増して慰安婦の稼ぎが増えるやうにしてやつたくらゐだ」と、かう言ふことなんです。一体、日本人に対してどういふ感情を持つてをつたかと訊きましたら、日本人とか朝鮮人とかさういふ対立感情は無かつた。慰安所を自分の職場と考へてゐたやうだ。「やはり朝鮮人にもお国のためといふ気持ちはあつたやうですよ」と言つてをられました。
Y氏は関東軍の第一四三部隊の下士官だつた。昭和十六年から十九年まで北満の嫩江、それから東満の春化、金蒼にゐた。朝鮮人慰安婦が確かにゐた。経営者も朝鮮人であつた。その表情は明かるかつた。八割が「朝鮮ピー」と呼ばれた朝鮮人女性で、経営者にも朝鮮人が多かつた。いづれも彼女達は日本人女性より稼ぎが多く、金持揃ひだと聞いてゐた。
朝鮮人慰安婦の表情は明るく強制や騙されて連れて来られたとは、とても思へなかつた。日本兵に対して好感を持つてをり、朝鮮人慰安婦と兵隊とが恋愛関係にまで陥つた実例がある。Yさんは実名まで挙げて説明しました。朝鮮人慰安婦と結婚の約束までした者もゐる。
その内一人は石岡出身、水戸の連隊です。そのHといふこの人は健在ですが、嫩江の慰安所で平壌出身の女性と熱烈な恋愛関係におち、満期除隊になつたら彼女と結婚するつもりであると私に打ち明けた。
ある外出日にY氏はHから彼女を紹介され三人で会つたことがある。どうしてその時、彼女が外に出たのかを訊いたら、彼女はその日、風邪をひいたと云つて休みをとつたらしい。風邪が理由で休みがとれたんです。彼女も本気でHとの結婚を考えてゐたが、昭和十七年七月頃、Hはチチハルの師団司令部に転属となり、水戸連隊は十九年三月、南方パラオ、ペリリュー島に転進したため、三人はバラバラになつてしまつた。Hはチチハルから他の部隊に移り、最後は沖縄に行き九死に一生を得て帰国した。
Hと結婚を約束した朝鮮人慰安婦についてY氏は「無事に帰れたら、今頃は北朝鮮で老婆になつて募らしてゐるかも知れません。その女性の顔を今でも憶へていゐますが、まさかあの時の彼女が騙された、屈辱を味はつた、補償しろと云つてゐるとは思へない」といふことです。
その他、まだいろいろあります。例へば九州のKさんは関東軍の独立歩兵第十一連隊に所属して蒙彊の朔県といふ所にゐた方ですが、現役兵で入つたんですが、現役兵は慰安婦なんて関係なかつた。色気より食ひ気だつたんです。食ふといふことだけで精一杯だつたと言つてをりました。この、「色気より食ひ気」といふことは実に沢山の人から伺ひました。
それからこの方は後に蒙彊の厚和といふ所で警察官になつたんです。警察官になると慰安婦のことはよく判かる。そこで蒙彊の慰安婦といふものがどういふものかと云ひますと、当時、日本の治外法権といふことがありまして、日本人と朝鮮人の慰安婦、当時慰安婦といふ言葉は使はなくて、この方達は皆「ピー」と言つてをります。日本ピーとか朝鮮ピーといつてをりますが、これは領事警察の保護下にあつて厚い保護の下に商売を営んでゐた。料金なども詳しく書いてくれてきてをります。
Mさんは中国湖南省にゐた方ですが、この方もやはり朝鮮ピー、日本ピー、中国人慰安婦は現地ピーと呼んで慰安婦といふ名称を使ったことはないと言ふ。朝鮮ピーは積極的に日本人の兵隊の呼び込みをやってゐたといふんです。呼び込みの言葉まで書いてきてくれました。皆、兵隊に対して上等兵と呼ぶんですね。一等兵でも二等兵でも上等兵と呼んださうですね。
「上等兵、カラス(ガラス)のコップでピール(ビール)飲んで男になれ」
と声を掛けて呼び込んださうです。兵隊はガラスのコップでビールを飲むことは無かったんでせうね。兵隊だから「ガラスのコップ」を使ふことはないでせうが、慰安所にはあつたらしいですね。行列といふのは見たこともない。また馴染みの兵隊などが戦死しますと慰安婦は兵隊と並んで告別式に臨んで涙を流してをつた。
ですから、さういふのを見ますと悲惨とか哀史とかいふことがあつたとはとても思へないといふわけです。もし日本が戦争に勝つてゐたら彼女達は沢山の金を貯めて意気揚々と国に戻つたに間違ひない。こんなふうに書いてをられます。
Tさんは女性の方で、今、鹿児島県に居られる方で満洲の佳木斯で飲食店を経営してゐた。妹さんはやはり佳木斯でデパートを経営してゐた。このお二人の話によると確かに慰安所はあつた。しかしながら日本人と朝鮮人の関係は非常に良かつた。どちらも故国を離れて遠くへ来てゐるので、とてもいい関係で、この方も朝鮮ピーの呼び込みのことにも触れてをられます。
それは
「カラス(ガラス)の外から冷やかしタメ(駄目)。トキョウ(度胸)決めて上がりなさい」
です。さう兵隊に対して盛んに呼び込みをやつてゐた。だから行列なんていふことは考へられないといふわけです。彼女達はどれだけの金を貰つてゐたかといふと、一回三円から三円五十銭。その店に使つてゐた日本人の女性の給仕さんが五十円の月給だつた。さうしますと彼女達は一日に日本人の給料の一ケ月分を稼いでゐた。大変な稼ぎだつた。毎日楽しく暮らしてをつて、悲惨とか屈辱といふ翳は全くなかつた、と手紙で書いてこられました。そのやうな手紙が私の所に沢山寄せられてゐます。
それを総合してみますと、日本人の慰安婦といふのは「お国のため」といふ気持ちがどこかにある。朝鮮人にもそれはあつたやうだ。人間的な情愛が欠けてゐたやうに言はれるが、決してそんなことは無かった。人間らしい感情は慰安所にもあつた。なかには朝鮮人と日本人の間の恋愛、結婚、心中まであつた。苦しい面はあつたかも知れないが、苦界の闇の中にも明るいものはあつたので、マスコミや活字が伝へるやうに「色地獄」 「生きながらの性囚」さういふものとはまるつきり達つてゐた。
それから報酬は極めて良かつたといふこと。もし仮に彼らが一日五十人、六十人とつたならば、一日に日本人の月給の二ケ月分、三ケ月分も稼ぐことができたことになる。一ケ月となれば二十倍、三十倍、これが二年間になつたらどのくらゐになるか。家が一軒建つのは間違ひありません。
朝鮮側の書いた物を読みますと中に三百人の客をとつたといふことが書いてあります。一人五分としても一、五〇〇分、一日が一、四四〇分しかないのに、どうしてその数字が出てくるのか。ところが接客時間は一人三分だといふんですね。三分で九〇〇分、なるほど。しかし、一、四〇〇分から九〇〇分を引いてその間、寝たりご飯はどうするんだ、といふ疑問が起きるのですが、食事は横になつたまま握り飯を食ふといふ。いくらでも説明の仕方はあるだらうと思ひますが、ちょつと私には信じられない。しかし、ちゃんと活字になつてゐるんです。
もうひとつは、行列が無かつたとういふこと。行列がたまにあつても十名かそこらで、これは人気のある慰安婦の所に集まつて人気の無いところには行かないんです。私はよく判らないものですから、慰安婦は「あてがひぶち」だと思つてゐたんです。順番に割り当てていくのかと思つてゐたら、自分で自由に選択するんですね。人気のある所は集まる、人気の無い所はお茶を引いてゐる。人気のある所に行列ができることはあつたやうですが、それも何十名といふことは誰も言つてをりません。悲惨な色地獄といふものは無かつたといふのが結論です。
これがマスコミが伝えない慰安婦の一面です。やはりかういふことも私共は知らないといけないと思ふんです。マスコミが伝へるやうな歪曲され誇張されたものだけが慰安婦と考へ、それが一般像として日本人の脳裡に定着することは非常に怖いことだと思ひまして、私は今のうちに体験談を集めておかうと思つてその作業をしてゐるわけです。
私はそれを後世の日本人のために記録しておきたいのです。
次に軍の関与といふことがよく云はれてゐます。朝日新聞が軍の関与を証拠付ける資料が出てきたと云つて、中央大学の某教授の資料を伝へてをりますが、私もその資料は防衛研究所へ行つて全部見ました。コピーして全部持つてをります。しかしその資料をみた限り、軍の関与は悪意のものだとは思へないのであります。
例へば軍の関与といふのはどういふものかといふと、「陸支密大日記」の中に陸軍省の副官の通達といふものがあり、それを見ますと、要するに慰安婦の募集に関して軍の名を騙つて、誘拐に等しいやうな募集をしてゐる業者がゐる。「これは軍の名誉に関はるから許せない。警察と十分に連絡してこれを取締まれ」と云つてゐるのであります。これは軍の関与と云へば関与だけれども、善意の関与だと思ふんです。軍が放置してゐたらどういふことになりますか。これは非難されるやうな関与ではない。
その他、慰安婦の健康についてのいろんな資料もあります。例へば慰安所には全部慰安婦の名前、と云つても源氏名ですね。源氏名になつてゐて○×で、可、不可が付けてあるわけです。今日はこの慰安婦は接客をしてはならない。これはよろしい。皆、出てゐる。接客をしてはならないといふのは性病もあります、それから風部もさうなんです。風邪でも商売してはならない、と差し止めになってゐる。足の怪我をした慰安婦も休ませられてをる。
謂はばこれは慰安婦の健康を軍が守つてゐたともいへるわけです。もし、かういふものに軍が関与してゐなければ、性病が蔓延してどうにもならなくなつたでせう。それに関与したことが悪いといへるのかどうか。
料金にしても分け前は慰安婦が七割、業者が三割と軍で指定してありますから、業者が慰安婦を搾取することはできなかつた。それから秩序維持のことも書いてあります。酒を飲みすぎて慰安所に行つてはいけないとか、途中で町をブラついてはいけない、必ず兵隊は二人で行くこととか、軍装の規定とか全部書いてあり、慰安所に通ふのも非常に窮屈なくらゐ、規則づくめだつたわけです。軍が健康、衛生、料金、秩序維持に統制をとつてゐたことは事実です。この軍の関与がなくて、それを業者に委せてゐたら一体どういふことになつたか。私はこれは善意の関与といつていいのではないかと思ひます。
よく挺身隊などと云ひまして朝鮮人の娘が拉致されたと云はれてゐますが、私の調べたところではかういふ資料もあります。
これは呂集団。漢口の第十一軍ですが、この特務部月報に達しがあります。これは十六歳未満の者を慰安婦にしてはならない、仮に十六歳以上であつても健康ならざる者を慰安婦にしてはならない。嘗て水商売出身であつても、慰安婦が嫌だと云ふ者を慰安婦にしてはならない。所謂良家の子女を誘致してはならない。これに反した者は厳罰に処する。かういふ軍の通達があるのです。
ですから軍の関与が悪いやう云はれますが、決して悪い面ばかりではない。軍の関与がなかつた場合のことを考へますと、一体どういふことになつたかといふことを思ひますと、軍の統制、関与はあるべきだつたと思ひますし、それを悪意にのみ解釈するのは片手落ちだと思ひます。悪意でやつたのではなく、軍は軍なりに考へてやつたんだと思ひます。
慰安所ですから多少の悲劇的なものがあつたかも知れません。慰安所は第一線にはあまりなく、大体、警備地区にはあつたやうです。場所によっては警備地区が戦闘地区に変化してしまつた所もある。さういふ所の慰安婦が非常に悲惨な結果を辿つたといふことはあつたでせうけれども、決してそればかりではなかつたわけです。
慰安婦と雖もお国のために尽すといふ気持はあつたやうです。元日本人慰安婦の述懐をご紹介します。これはソ連が入つてきた時のことです。
「家を釘づけにして、女達は髪を切りズボンをはき、髪に煤を塗り、父さん(経営者)は品物に目をくれるのではない。生きて帰ることだけを考へろと指図してゐるところへ、兵隊さんが駆けつけてこられました。兵隊さん達が守つてくれなかつたら、どんなに私達がお国のためにと思つても生きていけるところでないのです。最前線は危険だ、退け、といはれても、旧式統一丁で東方靜謐とやらの命令を守つて応戦もしない、まぢめで純な兵隊さん達を捨てて我が身の安全を考へるほど私達は情無しではありません。内地にゐる時、既に水商売にゐた私達です。良家の奥さんもお嬢さん達も身分のへだてなく国に一身を捧げる非常時に、卑しい私達に何が出来ませう。どうせお国のために役立つなら体を捧げることで兵隊さんの勇気を湧かせ、慰め励ますことで国を守つて下さる活力が湧く、それが卑しいといはれる私達にできる唯一の御奉公と思つてきました。
身の危険を感じたことも再三ござゐましたが、兵隊さんをみてご覧なさい。死ぬとわかつた所でも命令とあらば出ていきます。さうした姿をみるとまるで母親にでもなつたやうな、妻のやうな心にもなります。どうして捨てて退却などできませう。
砲弾運びもし、包帯巻きも、何でもやらう。そして死ぬ時は一緒だと覚悟はできてゐました。無防備に近い兵隊達は自分の命を捨てながら私達を守つてくれようとしました。牡丹江方面に行つた筈のソ連兵は思つたより早く引き返してきましてからの残虐ぶりは女とみれば子供でも犯します。既に息絶えた死体を情容赦なく銃剣で突きまくる女兵は腰のマンドリン(小機関銃)を撃ちまくる。どうせ殺されるなら夫とも我が子とも愛人とも思つてきた兵隊の仇を討たうと思ひまして私の体に乗つてくるソ連兵に身を委せながら拳銃の筒先を胸先に当てて引金を引いてやるとピュッと血が出ます。その血を浴びて傍の死体の下にもぐりこみながら生きて帰つてこの様子を知らせてやらうと決心して落着いてながめてゐました。幸ひに私の上の死体は何度も突かれましたが、私にまでは届かず、私の全身に浴びた血が死んだものと思ひ足蹴にして試さずお蔭で私は助かりました」。
こんなふうな述懐があるわけです。つまりソ連兵が来た時にソ連兵に犯されながらピストルで撃つて自分は九死に一生を得た。山陰地方出身の方で、その村からは二人慰安婦に出たさうですが、村では判つてゐたやうですが、非常に暖かく「苦労なさつた」といつて迎へてくれたと、かういふことでした。
ソ連もかういふことをやつてをるわけです。今の手紙にありましたやうに「お国のため」といつて弾丸運びもし、包帯巻きもし、兵隊が退却しろといつてもそれを拒んで最後まで兵隊さんと一緒に闘つた。かういう慰安婦もゐたといふのであります。私はかういふ慰安婦のことも忘れてはならないと思ひます。
支那事変が始まると沢山の朝鮮人の婦人、いはゆる慰安婦、これがどんどん前線に出ていつた。朝鮮人の慰安婦は勇敢だったさうです。弾丸の飛び来る所も勇敢に出ていくんださうです。
危ないから頭を下げろといつても平気で、日本軍より前に出ていつて「あそこに支那兵がゐるよ」とかなんとか教へる。日本兵顔負けに飛び出していつて日本軍に協力したといひます。
かういふことを考へますと日本軍が朝鮮人の慰安婦を募集するのに強制する理由は特に無かつたやうに私は思ふ。強制しなくとも向ふから進んで、あるいはちよっと声を掛ければ進んでくるやうな、さういふ雰囲気ができてをつたんぢやないか。内発的な一体感といふものがあつた時代なのです。
ところが朝鮮総督府が軍の依頼によって慰安婦を強制連行したんだ、その証拠はあるんだと云はれるので、私は総督府の記録がどこにあるか当つてみた。ところが総督府の資料は韓国銀行(昔の朝鮮銀行の建物を使用してゐる)に残つてゐたのですが、何年か前にそこが火事になりまして、資料は全部焼けてしまつたんださうです。
ビルマなどでは兵隊と一緒に中国軍に囲まれて玉砕した日本人慰安婦もゐます。朝鮮人の慰安婦に対しては「貴方たちは日本人ではないんだから降伏しなさい」と言つて兵隊と玉砕した日本人慰安婦もゐるわけであります。それらの朝鮮人慰安婦は無事生きのびたのです。さういふ日本人慰安婦のことは日本人として忘れてはならない。かういふ慰安婦は戦死した英霊と同じだと思ふ。
さういふ決意をした時にこの人達は人でありながら神になつてゐるわけであります。彼女達に対しては英霊が靖国神社に祀られるやうに靖国神社に祀つてあげていいんぢやないか。さふいう気持ちなのであります。
一体、慰安婦は靖国神社に祀られてゐるのかどうか、私は靖国神社の方に確かめたのですが、慰安婦でも祀られてゐるさうです。慰安所が最前線になった時は軍の方で軍属にしてあつたさうです。従軍慰安婦と云はれますけれども、実はその名称は間違つてゐると思ふ。従軍看護婦といふのはあつても従軍慰安婦といふのは無いわけです。慰安掃といふのはあくまで民間の業者に率ゐられたものでありますから軍属ではない。然し、危険の迫った時に軍の方で軍属に入れる。かういふことではあつたやうです。軍属に入れて亡くなつた方は靖国神社に祀られてあるさうです。しかし、それは名簿を見ましても誰が看護婦であり誰が慰安婦であるかは全く判らないさうです。ただ軍属として祀られてゐる筈だといふことです。私は謝罪とか補償とか言ふ前に、自分の意思で玉砕した慰安婦あるいは戦歿慰安婦に対しては慰霊碑を作つてあげるといふことは大事なことだと思ひます。かういふ慰安婦がゐたといふこと、そしてその中には沢山の朝鮮人慰安婦もゐたといふことを書き記しておくのがいいと思ふ。
慰安婦問題といふのは日本人の醜い面だと云はれます。ただ、これは根本的に男女の問題で、何処にでもある問題でせう。平和な時にもあるわけで、今なんかもつとひどいわけでせう。そして、明日の生命も判らない前線におきまして、かういふことがあつたといふことは、私は何等不思議ではないと思ひます。そこに多少の無理、悲惨、醜い面があつたとしても、私はそれによって大東亜戦争の意義といふものが変るものではないと思ふのです。
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