近衛上奏文と皇道派
二・二六事件研究家 山口富永
このところ、ようやくマスコミの中にコミンテルンの戦争責任を告発する動きが見られるようになった。
平成五年五月の「文藝春秋」や「正論」はその一例である。
昭和史研究家といわれている數氏の対談(「文春」)を見ると、「日本敗れたり」の中で、上奏文をとりあげ、皇道派についても従来の見方を変えた発言もある。
これまで、この上奏文は、一つの陰謀史観として扱われてきたようで、正当視されないものだった。
軍の中枢に共産分子がいるという内容が、まさかそんなことがというところからのものか、また戦後のマスコミの中に、この軍中枢との関係にある人が多く存在していることによるものか、とにかく日の目を見ないものであった。
かつてのアメリカの「赤狩り」といわれたマッカーシズムと、重ね合わせてのことであるのかとおもえる。
しかし、このマッカーシズムは、今日では、事実とされている。
アメリカの人脈に″赤″があったことは明確に検証されている。
最近になって、毛沢東の虚像をあばいたユン、チアン共著『マオ』なども出版されているが、いよいよ、日本軍部へのコミンテルンによる工作の実体を明らかにする秋ではないか。
京都大学の中西輝政教授は「コミンテルンの日本軍部への工作問題は今後の研究の大きなフロンテアとなるとおもう」と、「文春」の対談の中で述べているが、この近衛上奏は、さしあたりもつともよい教科書ではないだろうか。
『昭和史の証言---真崎甚三郎---人・その思想』は、昭和四十五年に出版した筆者の小著であるが、真崎側からのものとして、あまり世に認められなかったようである。
だが、五十七年に『真崎甚三郎日記』を数名のチームと共に刊行した東大の伊藤隆名誉教授は、同著の巻頭「はじめ」に、拙著を挙げて次のように述べている。
皇道派とか、真崎という人々についてのマスコミでの動向を知る上での参考になると思いここに転与する。
「現在までのところ、真崎甚三郎については本格的に編集された伝記はないが、真崎の略伝、評伝、人物評といったものは戦前から割合多く公刊されている--」として、松下芳男、前田節雄、山浦貫て亀井貫一郎緒氏らの書いたものを挙げた。
続いて「戦後まとめられた伝記としては、一つは山口富永『真崎甚三郎--人・その思想』でこれには岩淵辰雄の他、本日記にしばしば登場する島野朗、清水謙一郎が序文を書いている。
内容的には、真崎の教育総監罷免から、二・二六事件前後の時期を中心にとり上げ統制派こそが太平洋戦争に導いたのであって真崎らはその犠牲者であったとしている。
---すでに戦争末期に現れた論理を「皇道派史観」というならば山口のものはまさにそれである」と。
次に、「このような真崎に好意的のものに対して」として、田々宮英太郎や高宮太平氏らの著書を挙げている。
高宮太平の『昭和史の将師』(昭和四十六年刊)には、「真崎を二・二六事件の黒幕、青年将校への裏切者、反動的な対外進出者として描いている」と述べ「多くの昭和軍閥史の叙述の中ではむしろこうした真崎像の方が優勢であるといってよい」と。
このような空気が戦後マスコミの中での真崎像であろうが伊藤隆氏はこれについて、「しかし、統制派、皇道派の両者の立場をはなれた人々によって、昭和史を見ている人々もいる」として『二・ニ六事件』の著者である高橋正衝氏や、秦郁彦氏らを挙げている。
しかし、筆者はこれを鵜呑みにすることができないのである。
むしろ、これらの人の見方こそが、昭和史を誤らしめているのであるとすらおもう。
筆者は昭和六十三年に、NHKが特集番組として放映した「歴史はそのとき動いた、二・二六事件---消された真実」を見た機会に、高橋正衝氏と二・二六事件の最後の生き証人ともいえる末松太平氏の立合のもとで二・ニ六真崎首謀説、真崎組閣況について対決した。
NHKの放送にあたってこの説を、沢地久枝氏やディレクターの中田整一氏らに示唆したことを知ったからである。
このとき、高橋氏は「真崎組閣説は、私の推測であって事実ではない」と言った。
この後に、筆者は小著、『二・二六事件の偽史を撃つ』(国民新聞社刊)を出したが、このいきさつは詳しく述べておいたつもりである。
また、秦氏の真崎観についてもあまりにも見当外れのものとおもい、同著の中に「敢えて問う秦郁彦の真崎観」も述べておるものである。
人はそれぞれではあろうが。「支春」の対談に、加わっている、半藤一利氏や保坂正康氏らの今後の見解を筆者は見守りたいとおもう。
日本は大正末期から、コミンテルンの謀略の対象に晒され、日支事変後はナチスの謀略の対象となり、これらによって日本における全体主義思潮を煽り立てられたのであるが、ナチスの手先と思われていたゾルゲ、尾崎秀實が結局はコミンテルンの手先であったのである。
これらの思想が軍に浸入することを最も憂えたのが、皇道派であり、中心人物としての真崎は国軍を守ろうとしていたのである。
全体主義を日本精神であるとした統制派によって、日本はあの戦争にひきずりこまれたのである。
これと闘った皇道派の思想、戦略が昭和史の上に正しく検証されない限り、真の戦争責任を検証することはできない。
近衛上奏文の筆者は岩淵辰雄である。
近衛公を説き、小畑敏四郎中将を説き、吉田茂氏を説き、陛下への上奏を成したこの動きの中心は、岩淵辰雄氏の捨て身の工作である。
昭和十五年、憲兵隊に拘引されて自殺したイギリスのスパイ、コックスの手帳の中に、「日本の大官、顕官をすべて因にすることができたが、陸軍の真崎のみは梃子でも動がなかった」と記されていたという。
「此の一味を一掃し軍部の建て直しを実行することは共産革命より日本を救う前提条件なれば非常の郷勇断をこそ願わしく存じ奉り候」と、上奏文の末尾に述べている。
皇道派の真崎甚三郎による粛軍の御勇断を、陛下に求めてのものであった。
だが「真崎は二・二六の責任者でありますから」という木戸内大臣の進言によって陛下に容れられるところがなかったのである。
●Takashi
「近衛上奏文と皇道派」は、まだ連載が続いているのですが、これから掲載していきたいと思います。
現在の陸自にも共産主義者が多数存在するそうですが、大丈夫なんでしょうか?
※近衛上奏文と皇道派(二)へ。
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