コミンテルンの謀略を剔出した田母神論文
近現代史研究家 小林 俊彦
「田母神論文」は、あの戦争を鳥瞰(ちょうかん)的に画き、コミンテルンの謀略を剔出し、保守陣営の極く一部にある臭いものには蓋をしておけ式の「自虐史観は駄目」という考え方を一蹴し、国民の目を、あの戦争の真実の追及に向けて、大きく前進させた。
換言すれば、日本の再生と防衛は、あの戦争の真実を知ることから始まるのである。
ところがである。
「週刊新潮」十一月十三日号に、「中国だけが大喜び!空幕長のクビが飛んだ論文」が特集され、その中で秦郁彦氏が、田母神氏が指摘した「コミンテルンの謀略」を全否定しているのである。
秦氏の、田母神論文への一言一句は省略するが、秦氏の言が、かつてのコミンテルン日本支部である日本共産党を喜ばせ、日本再生を阻むことになることを、強く危惧した。
その危惧を救ってくれたのが、「ウィル」十一月号の中西輝政京大教授の「田母神論文の歴史的意義」である。
その一部を次に記しておきたい。
< 田母神論文は「アメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には、三百人のコミンテルンのスパイがいたという」と述べているが、これも事実で、一九九五年に初めて機密解除された「ヴエノナ文書」に繰り返し書かれている。
「ヴエノナ」については、多くの研究書が世に出始め、今では「いや五百人はいた」とか、「二百五十人がせいぜいだろう・・・」という論争になっているのが現状である >
< 蒋介石もルーズベルトも、コミンテルンに動かされていたが、忘れてはならないのは、実は、一番動かされていたのが、日本の近衛内閣であったことだ。
そのことを近衛文麿は昭和二十年になって知った。
しかし、既に自らの政権におけるコミンテルンの暗躍から八年近くも経ち、時、すでに遅かったのである >
< しかし、近衛文麿は「近衛上奏文」を書いていた。
この「近衛上奏文」について、秦郁彦氏はじめ半藤一利氏、保阪正康氏などの在野の歴史家はもとより、アカデミズムすなわち歴史学会の名だたる近大史家が、今に至るも十分な扱いをしていない。
これはいったい、どういうことなのか >
そして中西教授は、次のように述べるのである。
<(コミンテルンの謀略を認めようとしない論客は)戦後、隆盛を誇ったマルクス主義史観からの反撃を恐れ、遠慮してきたことが、大きな要因だつたと思われる。(中略)
然し、先のヴェノナ文書に戻ると、いわゆる「コミンテルン謀略説」は、秦郁彦氏の歴史観も、朝日新聞のそれも、とんでもない俗説ということになるらしい >
実は私の恩人平沢要氏は、戦中、逓信(ていしん)事務次官を務めていたが、陸軍統制派の進めた「電力国家管理」に反対して、次官の座を、半年余りで追われているのである。
その「電力国家管理」は、陸軍統制派が、昭和五年から十一年にかけて作成した、俗に云う「秘密・戦争計画書」に基づくものである。
その計画書の全体は、日本の社会主義化を目的としている。
故に、「陸軍統制派とコミンテルン」の関係も徹底的に調査究明の必要がある。
ちなみに記せば、ゾルゲが検挙された時、その救出に熱心に動いたのが、正統派の実力者であった。
その実力者は、謀略的に日本の南進(日米激突)を推進した尾崎秀美と太いパイプがあった。
「いかなる戦争にも反対」の皇道派の陸軍大将真崎基三郎氏を、陸軍刑務所へ放り込んだのも陸軍統制派である。
先の戦争で同胞三百十万人を死に追いやり、固有の領土を失わせてしまつた「日本の敵」がどこにいたのかを正確に把握することこそ、日本の再生、日本の防衛の原点だと思う。
田母神氏の論文の歴史的意義は極めて大きい。
あの戦争の総括を、いよいよ本格的に始めなければならない。
それを行わなければ左翼に負けてしまう。
あの戦争はコミンテルンの謀略であつたと総括すべきである。
(旧陸軍兵士)
●Takashi
國民新聞は平成17年から「近衛上奏文」の特集が続いています。今月号で21回目になりました。
連載が終わってから掲載しようと思っていましたが、来年から「歴史資料」として、少しずつ掲載しようと思います。
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