金正日政権と変わらぬ
「救う会全国」の体質
「救う会茨城」代表幹事 松尾 秀雄
「国民新聞」三月二十五日付の「理不尽な救う会全国協議会」を読み、その経緯を知っている一人として拙文を寄せたい。
私は一昨年九月二日に脱退したが、当時救う会全国協議会の幹部を務め、現在も署名活動などを始め拉致被害者救出運動の第一線で励んでいる。
当時、我々関係者の間で言う「お上」とは、
全国協議会の会長である
佐藤勝巳氏のことである。
五人で構成される役員会とともに「救う会」を
独裁で牛耳っているために「お上」との表現になった。
三月十六日に家族会からも十八名が出席して開かれた全国協議会でも、
佐藤会長の独断で役員一名追加の提案がなされた。
しかしこの件に関しては他の役員も相談されておらず、
さすがに反対意見も出たことから次回へ持ち超しになった。
次回この新役員が決まれば、やはり民主的な選出が
行われていないという証明にもなる。
また、四月からの集会には、国から資金が出るとの発表がなされ、
佐藤会長は
「四月からの集会は政府主催。
予算は取ってある。
国家予算の裏付けがあって我々と一致している。
政府にノウハウはない。ノウハウがあるのは我々。
これからの集会は、主催は政府、県、救う会の三つ。
町村さん(官房長官)が各地域の救う会のことは
分からないから、協議会が仕切ってくれ」
(地方の参加者の筆記録から)と語っていた。
これでは家族会はどのような存在なのか分からない。
全国協議会は集会のイベント屋ではないか。
具体的な被害者救出の案などは何も出てこない。
ましてや、全国協議会の原点である道行く人々に声をかける
署名運動を軽んじる発言もあった。
次に、佐藤会長が全国協議会の中で行ってきた謀略のことを述べておきたい。
「救う会」発祥の地は、新潟であり小島晴則氏から始まった事実は、最初の頃のメンバーは皆知っていることと思う。
この小島氏を、ある新潟のメンバーに
「反小島」の声を上げさせるべく佐藤会長が
数人の幹事に言い含めている場に私は居合わせたことがある。
当時の救う会新潟は、組織力では他を凌いでいた。
その頃、新潟東港に万景峰号が定期的に入港し、私はその都度、入港反対運動のため新潟へ行っていた。
佐藤会長が、当時、新潟救う会の会長だった小島氏を陥れるためにした事は、
小島氏がカンパ金の中から救出運動に走り廻るための運転手の日当とか
ガソリン代を小島氏が独断で使っているとの内容であった
(金額は、六、七万円ぐらいであったか、佐藤会長の一千万円の横領間題からすれば、あまりに少ないが)。
つまり、ボランティア精神に反するとして
小島氏を貶めるつもりであったのだろう。
今から思えば、平成十九年の全国協議会の決算報告によると、
専従員二名の固定給七十万円、
年間千二百二十万円余りの
事務所費の計上は一般的に高いか安いかは
個人の見方にもよるが、国民から寄せられた
浄財で運営されているボランティア組織のわりには、
随分と大雑把な会計報告で終わらせている。
次に、平成十七年頃から新体制になった救う会新潟の
小島前会長宅マサカリ事件の犯人についても、
内部告発があったと言って
「○○幹事の仕業ではないか」
と佐藤会長は言い出し、その幹事の除名を要求するが、
全員に相手にされず現在に至っている。
私は翌年二月、佐藤会長に対し、度重なる地方組織への不当介入については
「協議会内に上下関係はない筈」
と糾したが相変わらず、地方の救う会に口を挟んでいる。
新潟県新発田市で開かれる予定であった横田滋・早紀江さんの講演会が流れる事を知ったのは平成十六年十、十一月頃であった。
万景峰号入港反対運動のため新潟にいた私と救う会宮城の安藤哲夫会長が救う会新潟の幹事に招待され市内の寿し屋に行ったところ、そこへ佐藤会長が来た。
佐藤会長は
「横田に(呼びすて)新発田へ行くな、と言っておいた」
と言ったのである。
この指図がなされた理由は、後述する「一千万円横領告発」が、
小島、兵本両氏によってなされた事からくる仕返しであった。
その佐藤会長の一千万円横領疑惑を新潟救う会の小島会長とともに警察庁に告発(その後不受理)した元国会議員秘書の兵本達吉幹事(当時)が追放されたのも、
佐藤勝巳氏が会長という特権を駆使して出来た。
当時、その告発に恐れおののいた佐藤会長は私に
「何とかならないか」
と泣きついてきた。
私は週刊新潮にその記事が載ることを知りその早刷りを発売前日、佐藤会長に届ける一方で、穏便に治めてもらうよう何度となく兵本氏を訪ねるが、兵本氏は告発の取り下げを受け入れてくれなかった。
そして、その後開かれた幹事会で、私は佐藤会長の意を受けて
兵本氏の除名工作を行ったのだ。
拉致の解決は、大きな集会を開くことだけではない。
市民に出来ることは、政府にもっと本気になって動いてもらうための啓蒙活動を地道にやることも必要だ。
拉致被害者救出運動の原点はその文字の通りであり、
決して佐藤勝巳執行部の
生き残りをはかるものではないはず。
北朝鮮の金正日政権の体質と何ら変わらない
「佐藤救う会」体制では、救出は違のくばかりではないか。
関連記事
第19126号 國民新聞 平成19年7月25日 「救う会全国」がおかしい
第19132号 國民新聞 平成20年3月25日 理不尽な救う会全国協議会
●Takashi
この記事の掲載は迷いましたが、情報共有のため掲載しました。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐藤勝巳(さとう かつみ、1929年 - )は日本の社会活動家で、現在は「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)」の会長。
略歴
新潟県出身。元日本共産党員。旧制中学卒業後新潟県立巻高校中退後川崎汽船に勤務するが、レッドパージで1950年に失職(労働組合専従)。のち脱党、右派に転向。 北朝鮮から、2度(1962年11月10日、1964年9月23日)にわたり勲章(「朝鮮民主主義人民共和国赤十字栄誉徽章」)を授与されている。
佐藤勝巳会長は昔の癖が出たのか?それとも全国協議会を無茶苦茶にしたいのか?
元左翼という経歴は知識の面で強みになると思いますが、もぐりこみの可能性もあるので一度疑われると信頼できなくなります。
佐藤勝巳会長の反論が聞きたい。
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